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いきているお経ーその1-

いきているお経も10年以上前に書いた文章なので結構硬い内容になっています。まあ、戯言と思って読んで頂ければとおもいます。
(本文)
本題に入る前に、なぜ雲仙が、仏教修行地になったのかということを、歴史を振り返りながら、素人なりに考えてみました。
雲仙の別所付近では、縄文時代前期(6000年ほど前)の住居跡や焚き火の跡、土器(10000年~8000年前)や黒曜石の鏃(やじり)などが発掘されています。雲仙に住んでいた、縄文時代の人達は、狩や木の実などの採取をすることで、生活をしていたとのです。また、縄文時代の人々は、山に精霊や魔物が住んでいると考えて、雲仙のお山に恐れと親しみを、持っていたと思います。
(余談ですが、もし私のように面倒くさがりの縄文人がいたら、火を焚く手間を省いて、地獄の湯気で色々な食べ物を、蒸して食べていたかもしれませんね。)
時代が移り、弥生時代になると、稲作が始まります。稲作は水が無ければ成り立ちません。山は水を生み出し、山から流れてくる水次第で、豊作や不作になると、弥生時代の人達は考えていました。ここに、豊作祈願をするための、信仰の対象として、雲仙の山岳信仰が始まったと、言えるのではないでしょうか。
また、弥生時代には、砂鉄を使った「たたら製鉄」も始まったと言われています。時代は異なりますが、雲仙の歴史の中にも、多比良町金山に護摩の長者が登場します。田代原入り口附近には、まだ長者屋敷跡が残っているそうで(まだ、見に行ったことがありません)、金屑山という鉄の屑を捨てた所があるそうです。
この事からも、仏教伝来以前に、砂鉄が豊富に産出する雲仙に、鉄を生産する特定の人々が、集まって住んでおり、同時に、この利権を守り見張りをする人々が、存在していた可能性があります。
また、この利権を守っていた人達は、守権者(しゅけんしゃ)と呼ばれていて、仏教伝来以降に、修験者(しゅげんしゃ)と呼ばれるようになったのではと、想像をしてみましたが、誰もそんなことを言う人はいないので、ただの妄想なのでしょう。
さて、温泉山縁起には、人皇第四十二代文武天皇の御代大宝元年四月十七日行基菩薩佛法弘通(仏法がひろく広まること)のため、高来山(雲仙)を卜(ぼく)して(亀の甲羅を焼いてそのひび割れで吉凶を占う)三十七日の満願の時、五更(午前三時半から五時)の空に十丈ばかりの大蛇が現れ菩薩に向かえば、たちまち変じて4面の美女となると記されております。
私は、昔から大蛇が何故現れ、菩薩に向かうのか、大変不思議に思っておりましたが、他の事に忙しくもあり、長年放りっぱなしにしておりました。しかし、ホームページに、どのようにして雲仙が、仏教修行地になったのか書き込むに当たり、もう一度この表現について、検討してみることにしました。(次回に続く)

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