湯元ホテルのお知らせ

いきているお経ーその3-

暖かい日が続いていましたが、本日は突然の雪が降り出しました。本日の気温は3度です。冬か!とツッコミたくなる寒さです。でも、山の春は既に訪れており、当館の庭では、椿とヤマザクラと大粒の雪が共演する、何とも言えない美しい光景が見られました。
余談はさておき、いきているお経の続き(-その3-)を投稿します。

今まで書いてまいりましたのは、歴史的な雲仙仏教の流れでした。ここからは、父の思い出につながる話を、書いてまいります。
ある日、今は亡き父が、「雲仙には、いきたお経のあるとバイ。」と私に話はじめました。
幼かった私は、「へー」と軽く聞いておりました。すると父は大変真面目な顔をして、「今は分からんかもしれんバッテン、大切なことジャッケン(大切なことだから)、覚えとかんね(覚えておきなさい)。」と言いました。
私は、意味は分かりませんでしたが、(当時は素直な子であったので?)とりあえず「ハイ」と返事をいたしました。父の言葉を、突然思い出しましたのは、10年ほど前に、ボランティアガイドをしていたときのことでした。そして、ガイドの勉強ついでに、ずっと気になっていた、父の言葉の謎に結論を出してみようと思いました。
但し、私の生家である湯元は、もともと真言宗を家の宗教としておりましたが、明治に至り政府の指導で、神道に宗旨替えをいたしました。(実は、江戸時代、島原の松平藩は譜代大名であり、明治政府から、賊軍と見なされかねない立場だったものですから、島原藩の家臣であった湯元は、明治政府からの迫害の危険を感じ、宗旨替えをいたしたとのことです。)また、宗旨替えをしたことで、湯元の人々は村八分になり、大変な苦労をしたとも、聞いております。
このような事情で、私は仏教に関する知識・経験が浅いので、仏教を修めた方々にとりましては、私の書くことは、噴飯ものかもしれませんが、足りない部分はお許しいただきたいと思います。また私は、未だに仏教のどの宗派にも属しておりませんし、特別な修行もしておりません、さらに仏教の考え方に共感してはおりますが、命を捨ててまで信仰を守り抜く信者でもありません。
雲仙の歴史を考えるための、基礎知識として仏教を取り扱っておりますことを、ご理解いただいたうえで、以下をお読み下さい。ーその4に続くー

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です