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いきているお経ーその4-

昨日は何十年かぶりに、4月に雪が降りました。本日は少し肌寒いですが、青空が広がっています。今日は日曜日なので、投稿を休もうと思いましたが、もう少しで”いきているお経”が終わるので、頑張ることにしました。
(その3より続く)
仏教は多岐の宗派に分かれており、その指導方法も様々に分かれております。 ただ、その宗派が、仏教であるか、それ以外の教えなのかを判定する基準があります。仏教であるか否かの基準は、三宝に帰依することを、教義としていることだそうです。帰依という言葉は、元々サンスクリット語の中国語訳で、優れたものに対して、自己の体や心を全て投げ出し、 疑いを持たずに信じるという意味があるそうです。
仏教の三宝は、三つの対象への信仰という意味に、解釈してよいと思います。三宝は仏・法・僧を意味します。一般的に、仏は仏陀を、法は真理または仏陀の説法を、僧は仏陀の教えを信じ仏陀の教えを広めるために、尽くす集団をいいます。
言い換えれば、悟りを開いた仏陀その人の実在性と行動を信じ、仏陀が示した真理を信じ、仏陀の教えを広めるために尽くす集団を信じ、 自己を捨ててこれらに尽くすことを教義としている教えを仏教といい、それ以外とを分ける基準ともなります。
さて、仏教の基本の教えは、通常三法印であると言われております。(四法印とするお経もあるそうです。)法印とは、仏教の根本的な考え方、またはものごとの解釈方法です。 三法印は、諸行無常 諸法無我 涅槃寂静 の言葉で表現されます。素人解釈ですが、以下、それぞれの言葉の意味を解釈してみます。
諸行無常とは、全ての事象や現象は常に変化するものであり、他の事象や現象とのかかわりが条件となって、 一時的に存在しているとの解釈になると思います。
また、諸法無我とは、全ての事象や現象は、他との事象や現象とのかかわりが条件となって存在しており、他の事象や現象と何のかかわりもなく 存在するものはない。また、他事象や現象とのかかわりを持たずに存在する自己(=我)さえもないとの解釈になります。
さらに、涅槃寂静とは、諸行無常・諸法無我の真理を理解・納得することで、欲望を求めてとまない衝動的な感情を捨て去り、苦しみを脱し 精神(こころ)の迷いがなくなった状態になろうという、仏教の目的であると解釈できます。
以上、仏教の基礎知識の解説はここまでとして、雲仙にいきたお経があるとの父の言葉を、どのように解釈すればよいのかが、 依然課題として残っております。
手掛かりとしては、いきているとのキーワードから、①現実に存在するものであること、 お経というキーワードから②雲仙が仏教の修行の地であったときに、すでに存在していたものであること、さらに、仏教との関わりからみて③仏教用語が使われているものを対象にして、考察すべきだと思いつきました。そして、雲仙に現存するもので三つの条件を満たす、一番大きな手掛かりは地獄谷であると思いました。
従って、ここからは仏教と地獄谷とのかかわりを考えてみます。(その5に続く)

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