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いきているお経ーその5-

今日ふと道端を見ると、タンポポの葉があちらこちらに見ることが出来ました。山の上はまだ肌寒いのですが、確実に春の訪れを感じられます。

(その4より続く)

仏教が全盛時代、文字の読めない人も多かったはずです。文字の読めない人達に、観念的な概念や真理を理解してもらうことは、 大変困難だったことでしょう。
雲仙の地獄谷は、文字を読めない人達に、欲望をもとめてやまない衝動的な感情に押し流され行動すれば、 どの様な苦しみに至のかを、目で見せて理解させる道具として使われていたと考えられます。地獄谷の仏教説話としての利用は、容易に検討がつきます。
しかし、怖がらせてばかりだけでは、人々は逃げ出してしまうばかりのはずです。ここまで来れば、地獄の対極として、極楽や浄土を見せる必要が、出てくるのではないかと思われます。そこで何か重大なことを、見逃していないか、私は考え続けておりました。 そのような折、ある日突然、私の頭の中に「満明寺の庭園」という、キーワードがひらめきました。
しかし、庭園に仏教の考えが活かされているという、歴史的事実が無ければ、満明寺の庭が浄土を現しているとの、 推定がきません。もののついでだと思い、庭園史を調べてみると、「飛鳥時代に、中国から伝わった仏教の世界観を表現した庭園が造られたという」 との表現を見つけることができました。
雲仙が修行の山であったという、特殊な事実を考えれば、浄土を表現する手段として、 満明寺の庭(=原生沼)が使われていたと、考える妥当性はあると思います。
長い道のりではありましたが、今では、父が言っていた「いきているお経」とは、迷いから悟りの世界を現すために使われた、 地獄谷や原生沼と、それを取り巻く、雲仙の自然そのものではなかったのかと、考えております。
最後になりましたが、地獄谷の名誉のために、一言付け加えさせていただきます。
地獄谷は、恐ろしいばかりの所ではなく、地獄谷があるからこそ生きて行ける、 ツクシテンツキと名づけられた珍しい植物があり、地獄谷の恵みを利用した燗付け(水→お湯)・源泉の利用などがあります。
善悪や勝ち負けで物事を判断する、平面的な考え方に陥るのではなく、物事を公平に多角的に見ることで、世界は広がります。 色々なことを許す、慈悲の心も生まれてくるのではないでしょうか。ひょっとすると、欲望をもとめてやまない衝動的な感情に押し流されず、 仏になろうとする心を、持ち続け努力する人こそ、父の言いたかった、いきているお経なのかもしれませんね。(終了)