湯元ホテルのお知らせ

宮崎康平先生ーその1-

今日から、私の大好きだった、宮崎康平先生のお話を投稿します。母が宮崎康平先生のエピソードや出来事を語っておりましたので、是非先生についての思い出を書いて下さいとお願いしていたのですが、書くことができなくなり、とても残念に思っておりました。そこで、私の心に残る、宮崎先生とのエピソードを書くことにしました。宜しければお読みください。

(その1はじめ)
宮崎康平先生は、島原の子守唄の作詞とまぼろしの邪馬台国の著作で有名になられた、 盲目の詩人です。
私が幼い頃、宮崎康平先生が、何度も湯元に遊びに来ておられたので、 親戚のおじさんぐらいに思っておりましたが、湯元との血縁関係はないそうです。
いつも明るく元気一杯の人で、私が居りますと笑顔一杯で、 「ソウシュンコザエモン、元気にしっとたね」と、声をかけて頂いておりました。
宮崎先生は、とても不思議な方で、目が見えないはずなのに、 私が、息をひそめて先生をワッといって驚かそうと、廊下の角に隠れておりますと、 逆にワッといって、驚かされたりしておりました。
余りにも不思議だったので、「先生、なして(何故)僕の居るとの分からすとですか?」と聞いてみました。
「オイ(俺)は、忍者の修行バしたけん、分かるとタイ」と先生は笑ってお答えになりました。 幼かった私は、先生の言葉をまともに信じて、ひょっとすると先生の白いステッキは、 仕込み杖になっているかもしれないなどと想像をし、 大人になったら、絶対に忍者の修行をしようと、心に誓いました。
後で考えて見ますと、先生は、島原鉄道再建のため大変なご苦労をなされ、過労のために失明されておられます。その頃絶望を耐え忍ぶ術を見につけられて、本当の忍者になられたのかもしれませんね。
(その2に続く)

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