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「2018年05月」の記事一覧

島原半島ジオパーク -その5-

今日は雨です。こんな日はついつい哲学的になってしまいます。人は何故仕事をするのか?生きるために仕事をするのか?生きがいを求めて仕事をするのか?などと考えているとふと(遊びをせむとやうまれけむ)という言葉が頭に浮かんできました。

早速、こまめな私はネットで(遊びをせむとやうまれけむ)という言葉を検索してみました。すると平安時代末期の歌謡集である梁塵秘抄(りょうじんひしょう)に書かれている歌であることが分かりました。

御紹介しますと、「遊びをせむとや生まれけむ、戯(たはぶ)れせむとや生まれけむ、遊ぶ子供の声聞けば我が身さへこそゆるがるれ」と書かれているそうです。

これを現代語に訳すと「遊びをしようとして生まれてきたのであろうか。あるいは、戯(たわむ)れをしようとして生まれてきたのであろうか。無邪気に遊んでいる子供のはしゃぐ声を聞くと、大人である私の身体までもが、それにつられて自然と動き出してしまいそうだ。」となるそうです。

いや~平安時代の人は偉い!私達人間は、面白おかしく生きるために産まれてきたのに違いない!うん、絶対にそうだ!そうと決まれば直ぐに実行が私のモットーである!今から遊びにイコ~ット!

んっ!?背後に人の気配が!なんか鳥肌が立ってきた。まさか妖怪?さ、さりげなく、おっ、落ち着いて、そ~っと首をまわして、後ろを振り返ると・・・・。ヴギャ~!女将シャマ!何でこんな処にお立ちになっていらっしゃるのでごじゃりまするか?

私「はい。今ちょうどブログを書こうかと準備をいたしておりました!ハイ?お邪魔したかしら?いえ、いえ、め、滅相もございません。どうぞご自分のお席に速やかにお戻りくださいませ。」とういう訳で大変真面目で働き者の私は、続きを書くことになりました。

(その4より)

前回調子に乗ってしまい、お饅頭の話ばかり書いてしまいましたが、最も大切な雲仙温泉のことを書くのをすっかり忘れておりました。

雲仙温泉の地獄谷も火山活動により、西側から東側に移動を続けています。西側には原生沼とよばれる湿地帯がありますが、この場所は大昔地獄谷があった場所です。地獄谷の活動が止まり、そこに水が流れ込み池となり、次第に沼になり周辺地は湿原とました。また湿原の周囲には面積は狭いのですが乾燥地もあります。

つまり原生沼の中心地は水が溜まる沼地、その周辺に湿原と乾燥地が広がり、わずか1.2haの原生沼を見渡すことで、沼地→湿原→乾燥地までの植生の湿性遷移を見ることが出来るのです。

原生沼から雲仙のテニスコートの横の道を抜けて東へ歩いて行くと、旧八幡地獄に到ります。旧八幡地獄は現在地獄の活動が終息を迎えつつある地獄です。また、この場所の松は、クロマツと赤松の混血(?)ではないかと思われる松が栄えています。(まだきちんと専門家のお話を聞いていないので、断定はできませんが・・・。)

以前聞いたお話では、島原半島のクロマツは海岸から標高700mのところまで繁殖しており、それより高い標高の場所では赤松が繁殖しているそうです。クロマツと赤松の繁殖の境界線が雲仙周辺では旧八幡地獄になっているのではないかと考えています。また、5月の初旬にはシロドウダンの白く可憐な花を見ることが出来る、スポットでもあります。

さらに、旧八幡地獄を抜けて清七地獄に入ると、須川という川の源流の一つとなる酸性の強い小川が流れています。須川は雲仙の麓の西有家に流れている川ですが、酸性分が強すぎて、魚が住むことが出来ない川であると言われています。

この小川の植生をみると、小川の直ぐ近くにはツクシテンツキ、次にカヤ、ツツジ類(ミヤマキリシマ・シャシャンボ等)、アカマツ等が茂っています。私は、これらの植物が太陽の光を一杯浴びるために、酸性の強い土質でも育つことの出来る能力を身に付けたのではないかと考えています。

また、この小川の近くから遠くなるにつれ、太陽の光が余りなくても育つことのできる檜や杉といった陰樹というものも目にすることが出来るので、300年から500年かけて裸地から極相林となる、一次遷移を一瞬で見ることの出来る大変貴重なサンプルになるのではないかと思っています。

(その6へ)

島原半島ジオパーク ーその4-

歳を重ねると、時間が短く感じるようになりました。友人の話によると、1日を自分の年齢で割るとその年齢で感じる時間の長さになるそうです。例えば、60歳の人は1歳の時の60分の1の時間の長さになるそうです。
そういえば、コーヒーをコップに注いで、熱すぎるので冷まそうと思って、ちょうど良い温度になったはずだと飲んでみると、物凄く温くなっていると感じる回数が増えたのは、年齢を重ねて時間感覚が変わってきているためかもしれない。
(分かった!この頃疲れると思っていたら、自分が思っている以上に仕事時間が長くなっているからだ!休暇を直ぐ取らなくちゃ!休暇願を書くぞルンルン!)と思ってふと横を見ると、(ウァ~女将が居る~)。
はい女将。私ちっとも疲れておりませんし元気です。直ぐブログ書いちゃいます。

(その3より)

さて、島原半島は裂け目が広がりつつあるのですが、このため断層が形成され、また100年~200年ほどの周期で噴火が起こります。

島原半島の断層は、YahooやGoogleの地図写真や現地の近くで確認出来る口ノ津断層・有馬断層・千々石断層・小浜断層・布津断層・金浜断層・深江断層等があります。これだけの狭い地域でこれだけの断層があるのです。断層フェチには堪らなく面白く思えます。

更に面白いのは島原半島の南端から次第に島原半島が形成され、現在は中央部に火山活動が移ってきていることです。中央部では島原半島の東部分が現在火山活動をしていることです。大まかに活動の推移を書いておきますと【約400万年前南島原市口之津町早崎地区周辺 → 200万年~50万年前南島原市加津佐町周辺北有馬町周辺 → 50万年前早崎地区を除く南島原市口之津町と北有馬町周辺 → 30万年~20万年前小浜町周辺と布津町の一部(高岳・高岩山・絹笠山・矢岳) → 20万年~10万年前千々石町・愛野町・吾妻町の一部(九千部岳・吾妻岳・舞岳) → 10万年~有史時代(野岳・国見岳・妙見岳・普賢岳) → 1663年、1792年、1991年~1995年(眉山・平成新山周辺)】となるようです。

年代別には400万年前からの火山活動の跡が順に残っていて、それを実際目で見ることが出来る、まさに火山の博物館と言えるのではないかと思っています。(さすがはユネスコのジオパークに最初に指定されただけのことがあると、自身は勝手に思っております。)

余談になりますが(いかん!今回は余談を書かないつもりだったのに勝手に手が~!)、他の人に島原半島の噴火の仕組みを分かり易く説明するためのアイデアを考えていた時に、あるアイデアが閃きました。しかし、素人である私が、このアイデアを使っても問題がないか自信が無く、暫く温存していました。すると、ある日突然、チャンスが目の前に転がり込んできました。

九州大学名誉教授の太田一也先生がジオパーク関連の会議に出席されており、たまたま先生の周りに誰も人が居なくなる瞬間が出来たのです。私は心の中で叫びました(今だ!今しかない!)。そして、気がついたら私は先生の側に駆け寄っていたのです。

「太田先生、私の様にあまり火山の知識が無い人に、感覚的にその仕組みを分かってもらうための説明方法を考えたのですが、素人である私が考えたアイデアを使って良いかどうか自信がありません。聞いて頂いても宜しいですか?」

すると太田先生はとても優しい笑顔で「どうぞ話してみてください。」とおっしゃいました。勇気を振り絞った私は「例えに、お饅頭を使ってみてはどうかと考えたのです。お饅頭の両側を引っ張って表面に裂け目を作り、下から押すと餡子がピュッと飛び出します。これが噴火のイメージですと説明したいのです。」とお話しさせて頂きました。私のレベルの低い話を、優しく微笑みながら聞いて下さった太田先生は、「その説明使っても良いです。」と言って下さいました。

(やった~!やった~!やった~!)私は心の中で叫び、先生に最敬礼しておわかれし、それ以降は客様にお饅頭を例に揚げて、島原半島の火山活動のお話を致しております。めでたし。めでたし。

(その5へ)

島原半島ジオパークーその3-

「いや~真面目な話は肩が凝りますな~。のどかな五月晴れの日に、ノートパソコンに向かっているのではなく、山登りでもしたいですな~。」と思いながらコーヒーを一口飲んでいます。
ウァ~!女将の早くブログを書きなさい光線が、チクチクとやわ肌に突き刺さって参りました。(か、書きます書きますから~)
(その2より)

日本の火山活動は、プレートと呼ばれる地球の表面を覆う厚さ100kmほどの海水を多く吸った岩盤が陸側の岩盤の下に沈み続けており、そのプレートの動きが地震を発生させ、また、その岩盤に含まれている水分の働きで地球の内部の岩石(マントル)が溶けたもの(マグマ)が地表に流出し、噴火が起こると考えられています。

だったら何故岩盤(プレート)が動くのでしょうか?これには色々な説があるそうですが、地球内部の岩石(マントル)が移動しこれに引っ張られて岩盤(プレート)が動くという説が有力ではないかとのことです。

それではなぜ岩石(マントル)は動くのでしょうか?これも色々な説があるそうですが、一般的には、地球内部にある岩石でかんらん石という鉱物が、高温で軟らかくなり、1000度以上の状態である方向に流れるからだそうです。

どうでも良い話ですが、かんらん石を漢字で書くと、橄欖石になるそうで、ふりがな無しではとても読めないと思いました。

さて、島原半島はユーラシアプレート上にあり、全体的には南に移動しています。ここで面白いのは、島原半島の南の部分と北の部分は移動速度が違っていることです。島原半島の南部分は移動速度が北の部分より速く、その結果島原半島に裂け目(断層)が出来上がります。

もし、そのまま裂け目が広がれば島原半島は分断されてしまいますが、中央部分で噴火活動があり溶岩が供給されたため、現在のところは一つの半島になっています。

余計な話ですが、この説明を受けていた時に素人の怖いもの知らずで、当時九州大学名誉教授の太田一也先生に質問してしまいました。

私、「先生このままで行けば、島原半島はどんどん大きくなって、九州くらいの大きさになる可能性がありませんか?」すると先生は「可能性は有ります。」と答えて頂きました。そのお答を頂いて、私の心の中では悪魔のささやきが聞こえました、(ひょっとすると裂け目近くの土地を少し買っていれば、そのうち自然に土地が広がって大地主になれるかも!むふふふふ!)

私の邪悪な心を読まれたのでしょうか、先生は「但し、裂け目は1年に0.1ミリ程度しか広がりませんので、その結果を見るには何十億年もの時間が必要となり、ここに居る誰も生きて検証することは出来ません。」とおっしゃいました。私は、(10年で1ミリ、100年で1センチ、1000年で10センチしか広がらない!大地主になる前に命が無い!ア~ア!)と心で思い、私の浅はかで壮大な野望は潰えて行きました。めでたしめでたし。

ウ~ム!また話が脱線してしまった。こうなると脱線が止まらなくなるので、次回は心を入れ替えて書こうと思います。
(その4へ)

島原半島ジオパークーその2-

本日は晴れです。一回怠けてしまうと、なかなか投稿する決心がつきません。facebookやインスタグラムやツイッターとかいう情報発信手段を使って、毎日投稿をしている人達は凄いですね。とても人間ワザとは思えません!などと思っているうちに、時間ばかりが過ぎて行きます。
余計なことですが、どこかで似た体験をしたことがあるぞと考えていたら、学校の宿題を思い出しました。
学生時代宿題をしなければと思っていても、後でやろうと思って、本を読んだりテレビを観ているうちに時間が経って眠くなってしまい、そうだ明日早起きして宿題をやってしまおうと思いながら熟睡し、結局朝起きることなく、先生から叱られるのを覚悟して、暗い顔をして登校していました。
そうか~ 大人になっても状況はあまり変わらないんだな~ と思いながら、渋茶をズズッとすすっていたら、横に座っている女将と目が合ってしまいました。はいっ!分かっております!直ぐやります!と心の中で思いつつ以下書かせて頂きます。
(その1より)
島原半島の造山活動は、周辺部が古い火山活動によって形成され、中心部が比較的新しい火山活動によって形成されています。ある意味年代別に火山が並べられた火山の博物館と言って良いと思っています。
また、この火山活動によって生じた断層が、戦国時代から江戸時代にかけての勝敗を分けた戦場となっていますし、珪素を多量に含んだ溶岩によって形成された雲仙の山々は急峻であるため、海岸沿いには亜熱帯植物が茂っていると同時に山頂部分には寒帯植物が茂っているという、誠に珍しい地域でもあります。
更に、戦場食であった具雑煮や噴火による飢饉のときに考案された”ろくべい”という郷土料理、世界の食の遺産に指定されたコブタカナやエタリの塩辛というものまで残っています。次回以降で詳しく書かせて頂きたいと思います。
(その2へ)

ミヤマキリシマツツジが満開をむかえています。

湯元ホテルから、車で5分の宝原園地で、5万本のミヤマキリシマツツジが満開です。

遊歩道も整備されており、ゆったりと散歩を楽しめます。遊歩道を進むと小高い丘の上に展望所もあり、晴れた日には、諏訪の池を見下ろしたり、天草諸島も見る事が出来ます。

ゴルフ場近くの池の原園地も満開、仁田峠も見ごろを迎えました。

今年は、例年より少し早い見ごろを迎えています。