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島原半島ジオパーク -その5-

今日は雨です。こんな日はついつい哲学的になってしまいます。人は何故仕事をするのか?生きるために仕事をするのか?生きがいを求めて仕事をするのか?などと考えているとふと(遊びをせむとやうまれけむ)という言葉が頭に浮かんできました。

早速、こまめな私はネットで(遊びをせむとやうまれけむ)という言葉を検索してみました。すると平安時代末期の歌謡集である梁塵秘抄(りょうじんひしょう)に書かれている歌であることが分かりました。

御紹介しますと、「遊びをせむとや生まれけむ、戯(たはぶ)れせむとや生まれけむ、遊ぶ子供の声聞けば我が身さへこそゆるがるれ」と書かれているそうです。

これを現代語に訳すと「遊びをしようとして生まれてきたのであろうか。あるいは、戯(たわむ)れをしようとして生まれてきたのであろうか。無邪気に遊んでいる子供のはしゃぐ声を聞くと、大人である私の身体までもが、それにつられて自然と動き出してしまいそうだ。」となるそうです。

いや~平安時代の人は偉い!私達人間は、面白おかしく生きるために産まれてきたのに違いない!うん、絶対にそうだ!そうと決まれば直ぐに実行が私のモットーである!今から遊びにイコ~ット!

んっ!?背後に人の気配が!なんか鳥肌が立ってきた。まさか妖怪?さ、さりげなく、おっ、落ち着いて、そ~っと首をまわして、後ろを振り返ると・・・・。ヴギャ~!女将シャマ!何でこんな処にお立ちになっていらっしゃるのでごじゃりまするか?

私「はい。今ちょうどブログを書こうかと準備をいたしておりました!ハイ?お邪魔したかしら?いえ、いえ、め、滅相もございません。どうぞご自分のお席に速やかにお戻りくださいませ。」とういう訳で大変真面目で働き者の私は、続きを書くことになりました。

(その4より)

前回調子に乗ってしまい、お饅頭の話ばかり書いてしまいましたが、最も大切な雲仙温泉のことを書くのをすっかり忘れておりました。

雲仙温泉の地獄谷も火山活動により、西側から東側に移動を続けています。西側には原生沼とよばれる湿地帯がありますが、この場所は大昔地獄谷があった場所です。地獄谷の活動が止まり、そこに水が流れ込み池となり、次第に沼になり周辺地は湿原とました。また湿原の周囲には面積は狭いのですが乾燥地もあります。

つまり原生沼の中心地は水が溜まる沼地、その周辺に湿原と乾燥地が広がり、わずか1.2haの原生沼を見渡すことで、沼地→湿原→乾燥地までの植生の湿性遷移を見ることが出来るのです。

原生沼から雲仙のテニスコートの横の道を抜けて東へ歩いて行くと、旧八幡地獄に到ります。旧八幡地獄は現在地獄の活動が終息を迎えつつある地獄です。また、この場所の松は、クロマツと赤松の混血(?)ではないかと思われる松が栄えています。(まだきちんと専門家のお話を聞いていないので、断定はできませんが・・・。)

以前聞いたお話では、島原半島のクロマツは海岸から標高700mのところまで繁殖しており、それより高い標高の場所では赤松が繁殖しているそうです。クロマツと赤松の繁殖の境界線が雲仙周辺では旧八幡地獄になっているのではないかと考えています。また、5月の初旬にはシロドウダンの白く可憐な花を見ることが出来る、スポットでもあります。

さらに、旧八幡地獄を抜けて清七地獄に入ると、須川という川の源流の一つとなる酸性の強い小川が流れています。須川は雲仙の麓の西有家に流れている川ですが、酸性分が強すぎて、魚が住むことが出来ない川であると言われています。

この小川の植生をみると、小川の直ぐ近くにはツクシテンツキ、次にカヤ、ツツジ類(ミヤマキリシマ・シャシャンボ等)、アカマツ等が茂っています。私は、これらの植物が太陽の光を一杯浴びるために、酸性の強い土質でも育つことの出来る能力を身に付けたのではないかと考えています。

また、この小川の近くから遠くなるにつれ、太陽の光が余りなくても育つことのできる檜や杉といった陰樹というものも目にすることが出来るので、300年から500年かけて裸地から極相林となる、一次遷移を一瞬で見ることの出来る大変貴重なサンプルになるのではないかと思っています。

(その6へ)

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