湯元ホテルのお知らせ

なかよしはいい

タイトルを書いた時、頭の中に「なかよしこよし」という言葉が突然浮かびました。幼い頃母が歌って聞かせてくれていた童謡の歌詞であったことを思い出しました。

あれ?どんな歌詞だったかな?「なかよしこよしは どこのみち い~つもがっこへ みよちゃんと?」?????(これは違う!文章的に繋がらない!)

早速ノートパソコンで調べてみました。まず、「なかよしこよし」は漢字で書くと「仲良し小好し」となるそうで、意味は仲良しと同じだそうです。

さらに、私が覚えていた「なかよしこよしは どこのみち い~つもがっこへ みよちゃんと?」は、「仲良し小道」という動揺で、本当の歌詞は「仲よし小道は どこの道 いつも学校へ みよちゃんと」が正しかったのです。

それでは「仲良し小好し」は、どの童謡に出てくるのか?

有りました!「お馬の親子は 仲良し小好し・・・」だったのです。でも・・・・もう一つ重大な間違いがありました。タイトルを「お馬の親子」と思い込んでいたのですが、本当は「おうま」が正しいそうです。

“子供の頃に聞いた曲は、意味を考えずに適当に覚えていたことを大判明!”

以上の事から、私の適当な性格は幼い子供の頃から醸成されていたことが、はっきり分かりました。こりゃ60歳を超えても適当さが抜けないハズである!早速女将にこの大発見を御報告!

「女将!私がいつも女将に、適当に話を聞いると怒られる理由が分かりました!子供の頃からの性格だったんです!スッゴイ大発見でしょう!大興奮スッ!これを研究して論文にまとめれば、ノーベル賞が取れるかも!いいな~♪いいな~♪ノーベル賞♪」

「エッ?あなたは大馬鹿ですかと?そりゃ~自分でも馬鹿だとは思ってますが、面と向かって言われると、私の小さなプライドでも傷つくのですが・・・・。何々?自分のマヌケさを研究して世間に公表しようと考える大馬鹿は、世界中であなたくらいのものです?余りにも情けないので実家に帰らせてもらいます?」「ジョ、冗談ですってば!夫婦の会話を盛り上げようとして話してみただけです!オ、落ち着いて下さいませ!そう、そう、気を落ち着けてくださいm(_ _)m」・・・暫くの沈黙・・(気まずい!)・・・「そう言えば私、ブログを書いている途中だったので、事務所に戻ります。」という訳で大脱出~♪♪

(はじまり、はじまり)

雲仙は日本初の国立公園です。詳しくは国立公園法で指定された公園で、雲仙国立公園(現在は雲仙天草国立公園)として、1934年3月16日に、瀬戸内海国立公園、霧島国立公園(現在は霧島錦江湾国立公園)とともに日本最初の国立公園として指定された場所です。

この国立公園法は、1931年10月1日施行され、 1957年10月1日廃止され、現在は自然公園法により雲仙天草国立公園として指定されています。

余談ですが、世界最初の国立公園は、1872年にアメリカ大統領によって指定されたイエローストーン国立公園だそうです。日本に国立公園が誕生したのは1934年ですから、世界最初の国立公園誕生から62年後になります。

詳しい資料が手元になく、聞きかじりの知識で書いてしまいますが、当初、日本の国立公園として指定される要件は、海と山の景観を同時に見ることができる場所で、その景観を保護しながら、日本国民や外国の人々が公園として利用するにふさわしい場所とされたそうです。加えて、国立公園の場所の選定のため、外国人や日本国民が参加し、投票で決められたと聞いています。

雲仙国立公園は自然保護という側面を持ちながらも、外国人の避暑地として外貨の獲得を目指すモデル公園と位置づけられていたのではないかと思っています。これは、雲仙市を読めば成程と思っていただけますので、以下に明治~太平洋戦争前までの、外国人観光客に係る年表を記載しておきます。(雲仙観光協会の年表を参照)

1870年  アメリカ将校7人、通訳、コックボーイを連れて湯本旅館(現湯元ホテル)に逗留

1878年 新湯温泉開発。雲仙で綿羊飼育 。日本人浴槽の他に、洋人風呂と称する一人のみ入浴する箱風呂を作り、混浴を避けたところ外国人の滞在客が増える

1883年 純洋式の下田ホテルが新築される。緑屋ホテルが外国人向きに設備を改める。

1890年 外国誌、上海ノースチャイナデリーニュースに雲仙が紹介される。外国からの避暑客が増加する

1893年 新湯の亀の屋旅館(現新湯ホテル)が外国人専門ホテルとなる。

1895年 日清戦争後、ハルピン、ウラジオストックのロシア人避暑客が増加する

1899年 季節(夏季)電信取扱所が置かれる。6年後 二等郵便局となる

1905年 ドイツ、ベルツ博士登山、県当局に県営保養温泉公園設置を進言

1911年 我が国初の県営雲仙公園が開設・県雲仙公園事務所設置・小浜雲仙間の道路改良、完成。自動車が走る・雲仙、小浜に電灯が灯る

1913年 県営ゴルフ場開設・県営テニスコート開設

1916年 千々石雲仙間自動車道路が完成

1918年 ジャパンツーリストビューロー(JTB)の夏期温泉出張所が公園事務所内に開設される

1921年 第一回国際テニス大会開催

1922年 雲仙、小浜間に定期バスが走る。島原、雲仙間に自動車道路が完成

1923年 雲仙に街灯が点灯される

1924年 インドの詩人タゴール来仙

1927年 外国人客2万人をこえる・蒋介石来仙

1929年 別所に冷水プールができる

1930年 雲仙国際観光協会設立

1931年 雲仙乗馬協会結成

1933年 白雲の池キャンプ場開設

1934年 国立公園に指定される・温泉公園の名を正式に雲仙公園に変更・県営バスが長崎と雲仙の間に開通(県営バス発足)・国際観光産業博覧会の第2会場となる

いずれにしても、明治時代から外貨獲得のための公園整備が行われ、その後国立公園になったことがお分かりになると思います。日本では2006年に観光立国基本法が成立していますが、明治時代には日本の西の片隅の雲仙で、平和的異文化交流を目指す動きがあったことを忘れてはいけないと思っています。

さて、雲仙温泉は島原半島の中央部に位置しておりますが、島原半島は世界ジオパークネットワークに、2009年8月22日、洞爺湖有珠山(北海道)、糸魚川(新潟県)とともに日本最初の加盟が認定されました。

この世界ジオパークは、世界的に貴重な地質、地形、火山などの地質遺産を複数有する自然公園です。また、世界遺産の地質版とも言われています。

2004年にユネスコ(国際連合教育科学文化機関)の支援で設立された世界ジオパークネットワークが各地域を世界ジオパークとするのに相応しいか否かを審査・認定をしています。

認定されるためには、地質遺産の保護とともに、これを地域の教育や科学振興、観光事業に活用し、地域社会の活性化に務めていることが必要とされているそうです。

また、この認定は4年ごとに繰り返し実施され、再審査で認定の基準を満たしているか、活動度合いが十分かなどをチェックしているそうで、再審査で認定を取り消される地域も多いとの事です。

島原半島は現在3回の審査をクリアーしており、関係者の皆様のご検討は素晴らしいと思っていますし、これからも応援し続けたいと思っています。

話は変わりますが、文化庁から2018年5月4日に、日本が世界文化遺産に推薦していた「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が、登録の妥当性を事前審査する、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の諮問機関であるイコモス(国際記念物遺跡会議)が、「登録が適当」とユネスコに勧告したと発表されました。

この「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」には、原城址が含まれています。原城址は、禁教初期に島原と天草の潜伏キリシタンと農民が、島原・天草一揆のとき籠城戦を行った場所です。島原・天草一揆は、江戸幕府に大きな衝撃を与えて、2世紀を超える鎖国につながり、残された潜伏キリシタンの人々が、密かに自分たちだけで信仰を続けていくきっかけを作ったことが、今回の関連遺産に含まれている理由になったと思っています。

さて、前回のブログをお読みになった方は、「あれ?」と思われませんでしたか?そうです、実は「原城址」が世界ジオパークのジオスポットとして取り上げられているとともに、世界文化遺産としても取り上げられているのです。そこに、ユネスコの隠れた意図があると私は思っています。

辞書などで調べると、“ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)は、諸国民の教育、科学、文化の協力と交流を通じて、国際平和と人類の福祉の促進を目的とした国際連合の専門機関”とされています。

ユネスコ憲章の前文を私なりに解釈すれば、お互いの人民の無知や無関心が差別や疑惑を生み、これを利用して人種主義・選民主義・差別主義・全体主義・排他主義・経済至上主義・国家主義が台頭し、第二次世界大戦が引き起こされたことを反省しています。また、単に国家と国家の契約や取り決めではなく、人類全体の共感と連帯のもとで、人間の尊厳や平等・相互の尊重という民主主義の諸原理を学ぶことを人民に保障されることが、ユネスコに参加する各国家の義務とされ、そのうえで相違する文化を学びあい交流を広げることで相互理解を深め、人民の心の中に平和のとりでを築かなければならないと考えられているようです。

以上のことから、島原半島で原城址が世界ジオパークと世界遺産にダブルで取り上げられているということは、為政者の失政や弾圧が人民を苦しめそれが戦いにつながったこと、宗教が戦いを正当化する道具にされてはならないこと、ミレニアムに殉難祭が行われ世界平和への祈りが宗教の枠組みを超えて執り行われたことを沢山の外国からのお客様との交流を通じて、世界中に発信して欲しいという、ユネスコの意図があるのではないかと私は密かに思っています。

今まで難しいことを書き並べてきましたが、私は観光業に係る者として、究極のところみんなが仲良であれば、平和が訪れると思います。まさに仲良しは良いですね。

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